記憶力がゴミカスだという話は以前にもした。
理由についてもこの投稿で少し話した。まあ要するに脳の機能の問題である。
記憶力が低いと何に困るかというと真っ先に思いつくのは勉学に関することなんだけど、学生時代のテストなんかは困りそうではある。ただ、学生時代の私はまだギリギリ健常な記憶力だったので、自慢じゃないけれど成績はよかった。いや嘘です。自慢です。成績よかったです。駿台模試で全国一位を取ったことがあります。本気出せば東大くらいなら受かってたと今でも調子づいている。チャレンジしない時点で何も言う資格はないのですが。
高校時代の私は本当に素行が悪く(今も悪いですが)授業はサボるわ出席したらしたでいらんことしかしないわそのくせ成績だけ滅法強いわで本当に扱いづらい人間だったと今でも忍びない気持ちになる。
ちなみに本当に余談になるけれど、現役時代は大学に行く意味が見いだせずに共通試験だけ受けてどこにも行かず、浪人一年目はバイトが楽しすぎて共通試験の出願を忘れた(共通試験不要の同志社は受かったけど別にいいやとなり入学せず)。二年目にやりたいことができて美大を受けました。
そんな人間が記憶力を失うと何が起きるかというと、知ってるはずなのに思い出せないことが日常生活でめちゃくちゃ増える。これが一見たいしたことがなさそうにみえて、その実かなりストレスなのだ。
そもそも知らないことであれば知らないものとして処理できる。ところが、「あれ、これ絶対知ってるんだけど何だったっけ…」となると、そこから思い出せるまで一生モヤモヤを抱えて暮らすハメになる。みんなにもこういう感情があると信じている。
記憶力がダメになった当初はかなり苦しい日々だったんだけれど、「この時代においてわざわざ自分で覚えておかなくてもいいんじゃね」ということに気付いてからかなり気持ちが楽になった。これが表題の「記憶の外部委託」です。
そもそも私が思い出せなくてモヤモヤするものなんかたかが知れていて、だいたいの事柄はググれば出てくる。出てこないのは自分の検索力が低いから。こういう考えにシフトすることになった。ベイカーベイカーパラドクスじゃないけど、周辺情報さえあれば工夫次第でどうとでも正解にたどり着ける。だから私は自分の検索力を育てる方向に進んで、それはわりと誰にも負けないくらいうまくなったという自負がある。
配信者さんが言っているもの、あれなんだっけと言っているものごと、結構な頻度で正解にたどり着けるのは私の検索力がすごいからなのである。えっへん。
一方でググっても出てこないものがあり、それは個人的な記憶。主観情報。このあたりは自分でどうにかするしかなくて、まだまだ試行錯誤の日々ではある。
事実ベースの事象はそれなりに補えるようになった。Google Oneによる写真、Google Mapsによる行動履歴、あとPixel Watchによる心拍の履歴とか、Xに残した発言とか、そういうもの(Googleに命綱を握られすぎている)。
これらの事実をきっかけに、いろんな記憶を思い出すことはある。それはそれで本当のこと。でも、自分はそうやって思い出したことが真実であると信用できない。
ほんとにその当時そうやって私が感情を抱いていたのか? こればっかりはいくら記憶を外部委託したってたどり着けない場所にある。
ふと思うのは、記憶力がまだ健常だったとしても同じことを感じるのかということ。私がちゃんといろいろなことを覚えていたとして、そのいろいろなことには感情という情報もオフセットされているのか、という疑問。
案外普通の人だってその当時の感情なんか忘れ去ってるのかもしれないよな、という一抹の希望もありつつ、でも自分にはわからないことだから、どうにか保存したくはある。
こんなに熱弁してきたけれど、存外、感情という記憶は忘れてしまったほうがいいのかもしれないと思う自分もいる。事実だけが残り、そこに今の自分を成した何かの痕跡があった、そんな考えも悪くないのかも。忘れてしまうことが当たり前になったから、何が正解なのかはわからないや。
そんな感じで、記憶力を外部委託しているという話でした。本当に何にも覚えていられないんだ。こいつまた同じ話してるなと思っても許してね。u_u